
阿修羅王
B1000F
俺は生きているのか、それとも、死んでいるのか。
阿修羅はぼんやりとそう考えた。
心臓はかろうじて動いている。
だが、身体はピクリとも動かない。
配給される食糧が届かなくなって、もう何日たつだろう。洞窟に滴る雫を口にふくみ、地を走る鼠や虫で空腹を紛らわして、何とか生にしがみついてる。
だが、それも昨日までの話だ。すでに魂は半分ほど黄泉の淵に立っている。
ぼんやりとかすむ視界にチカチカと赤い光が見える。
半開きの目蓋の裏に流れる血の輝きだ。それが完全に消えてしまったとき、俺は完全に死ぬのだろう。
そう、阿修羅は思った。
「いや……だ」
否定しても、乾燥したくちびるは声音すらも乾かしてしまいそうだった。
「死にたくない……」
阿修羅は闇人と獣人の間に生まれ、蔑まされながら生きてきた。あげく捨てられ、グランディオの二つの塔に身をおき、そこで働く娼婦や男娼の小間使いとして働いてきた。
そんなつまらない人生だというのに、こうまで生きたいとは。
阿修羅は知った。
俺は、俺自身の王なんだと。
どんなに蔑まされ、虐げられてきても、俺は俺自身の王であったのだと。
こんな死に際にそれを知るなんて。
「くそ……ぉ……くそぉ……」
阿修羅の乾いた眼球からは涙すらでない。それどころか、心臓の音がどんどん遠のいていく。
(ああ、俺は死ぬ)
(死んでしまう)
「死にたく……ない……」
「ならば、その願い、叶えてやろう」
どこかで、閃光がほとばしった。光のささない洞窟のなかで、確かに閃光がはしったのだ。
(いや、それよりも、この声は誰のものだ)
阿修羅の周りには死体しかなかったはずなのに。
「……誰……?」
「我が名は雷電。神の足となり、宇宙を駆ける者だ!」
声とともに姿が現れる。金とも銀とも思えるふしぎな髪をもった少年が、閃光のように輝く眼でもって、阿修羅を見据えていた。ただの少年ではないことは、その風格から明らかだった。ちぎれた赤いマフラーが風のないのにたなびいている。
「おぬし、名を何と言う」
「……阿修羅」
阿修羅は茫然としながら答えた。雷電はくちびるを固く結ぶ。
「阿修羅よ、おぬしは生きたいのか?」
「……生きたい」
「ほう。では、生きて何とする」
「生きて……?」
「そうだ。生きて、お前は何を成すつもりだ」
少年は静かな目で阿修羅を見つめている。
阿修羅は睨みつけるようにして叫んだ。
「王になる」
「ほう?」
「俺は生きて、自分の国をもつ。一人きりの王ではなく、すべての者の王となる」
「……ふっ、なんと大きくでたものだ」
少年は大人びた笑みを浮かべ、阿修羅に顔を近づけた。
「だが、気に入った。闇人と獣人の子、阿修羅……いや、阿修羅王。俺がこの穴倉からでる助けをしよう。見事、この穴倉から出ることができたのなら、神の足たるこの俺がおまえの第一の家来になってやろう」
雷電が阿修羅の額に指をつける。
形容しがたいあたたかなものがそこから流れ込んでくるのがわかる。
「……何を」
「黙っておれ、阿修羅王。俺のすることに間違いはない」
「……」
出会ったばかりだというのに彼の言葉を疑う気にはなれなかった。阿修羅はそのあたたかな流れに身を任せる。
「雷電、だったな」
「何だ、阿修羅王」
「なぜ、おまえのような奴がこのグランディオにいるんだ? グランディオは世捨て人の街。娼婦や男娼、俺のような流れ者。罪人も潜んでる街だ。おまえの来るようなところじゃない」
「ただのきまぐれだ」
雷電はそういうと、阿修羅の肩に手をやった。
「もう立てるだろう」
「……ああ、ずいぶん楽になった」
さきほどまで指先ひとつ動かせなかったというのに。雷電が何をしたのかわからないが、阿修羅はその秘密を暴くことはせず、彼に感謝を述べた。
「助かった、雷電」
「何、これからが大変だろう」
「そうだぜ、バカども!」
思わず、ぎょっとする。雷電のまとう赤いマフラーが喋り始めたからだ。
「驚いたか、黒猫!」
「俺は黒猫じゃない! 雷電、こいつはいったい何なんだ」
「うるさいだろうが、我慢してくれ。こやつは、BLOOD。俺の下僕だ」
「下僕!? よく言うぜ、雷電さんよ! あんたのフォローができんのは俺様だけなんだぜ!?」
「知らんな」
「……」
阿修羅は呆気にとられる。閃光とともに現れた少年、そして、奇妙なマフラー。
(俺はいったい何と出会ってしまったんだ?)
「阿修羅王、ぼうっとしている場合ではないのではないか?」
「え?」
「ここから出るのであろう。ここはこの巨大な塔の最下層だ。途中の昇降機は機能しておらぬし、外に出るのに途方もない時間がかかるぞ」
「おらおら、チャキチャキ行こうぜ! 俺様たちと違って、あんたはとろっこいんだからな!」
「……」
(そうだ。俺はここから出る)
そして、自分だけの国をもつのだ。
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B950F
エピソード1
「フム、行けども行けども、土の壁と死体だけ。不衛生極まりないことだ」
雷電がしかめっ面で呟く。
かろうじて水銀灯の灯る洞内には死臭と蝿の音で満ちている。
阿修羅は口元を手の甲で覆いながら答えた。
「ここらへんは遊郭街だったんだ。たぶん、そこいらにある死体は娼婦や男娼たちだろうな。もともと栄養のあるもんなんか食っていなかったから、死ぬのもはやかったんだろ」
雷電は淡々と説明する阿修羅を面白そうに見た。
「ほう、それにしてはおぬし、しぶとかったようだが」
「悪かったな。見ての通り、俺は闇人と獣人の混血だ。ほかの奴らより、頑丈なんだよ」
「んじゃあ、黒猫ちゃんよぉ。ここで死んでんのはどんな種族だったんだ?」
BLOODが尋ねてくる。いったい彼がどこから声を出しているのか未だにわからない。
「そうだな。闇人と緑玉人、それに人が多かったかな」
「ほう、人とは珍しいな」
「ああ、そうらしいね。地球って惑星の種族だろ?」
「人の生息地は何も地球だけではないぞ。まあ、どちらにしても今では絶滅寸前だ。そうだな、地球もだいぶ様変わりしたそうだし、ここから出たら、一度行ってみるか?」
「行けるの?」
阿修羅は猫のような耳をひくりとさせる。
「塔最上階にはグランディオの王の千枚葉船がある。それを拝借し、死ぬほどの努力をすればやがて行けるだろう」
「死ぬほどって……簡単に言うなよ……」
「自分の国をつくるのだ。そのくらいできぬようではな」
そう云って、雷電は楽しげに笑った。
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B900F
エピソード3
「ところで、グランディオの王って何て名前なんだ?」
阿修羅はなんとなく思いついて聞いた。
「知らん。おぬしこそ知らんのか?」
「知らない。知らなくたって生きていけたから」
グランディオは階層で区分けされている。そのエリアの責任者さえ知っていれば事足りた。
「ならば、ますます俺は知らんぞ。ここへやってきたのは、そやつが死んだ後だからな。巨大な蟻塚の主が死んだというから、見物をしにきただけだ」
「け、見物だったのか?」
「こいつはよォ、暇で暇でどーしようもねぇのよ」
BLOODが大声で笑う。
「こんなナリはしてるが、これでもこいつァ……」
「それぐらいにしておけ。燃やすぞ」
「へいへい。俺様がいるから退屈しねぇってのに、ありがたみをしらねぇなあ」
「そんなもの、露とも思ったことがないわ」
(何だか、仲がいいのか悪いのかわからない二人だな。いや、一人と一枚、か?)
阿修羅は変なところで頭を悩ませる。
「まあ、グランディオの王の名など、知らんでもよいではないか。知ったところで何の役にも立たん」
雷電が妙に清清しい声で云ったものだから、阿修羅は思わず吹き出してしまった。
「言い切ったな。あはは、そのとおりだけどさ」
「ようやく笑ったな。おぬしは笑えんのかと思っておったぞ」
優しげに言われて、阿修羅は思わず赤くなる。
「笑うどころじゃなかったからな。それは、今も昔もだけど」
「ならば、これから笑うとよい。笑う角には福来るというではないか」
「いいこと云うねぇ、旦那!」
一人と一枚は爽快な笑い声をたてた。
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B800F
エピソード4
「ガガ………」
「ん? 何か云った? BLOOD」
阿修羅が聞くとBLOODは不機嫌そうな声で答えた。
「俺様じゃねぇよ。前見ろよ、前。何かが歩いてくるぜ」
BLOODの云うとおりだった。
何か大きなものが奇妙な音をたてながら近づいてくる。
まるで錆びた歯車の擦れる音だ。不安感を煽るその音に思わず眉が寄る。
それはまるで人のように歩み寄ってきていた。だが、ひょろ長い手足はひどくいびつに動いている。
手にした松明がじょじょにその姿を照らしだす。阿修羅は思わず声をあげた。
「ナナシーZERO……」
「何だ、それは」
雷電が前方に睨みつけたまま阿修羅に問うた。
「遊郭街のボスだよ。女型の機械人間なんだけど、俺たちにはやさしいし、話のわからない人じゃない。だけど、なぜあんな姿に?」
彼女の血で染まった衣服からは光沢のある肌がのぞいていた。切りつけられたのか、いびつに歪み、配線が見えている箇所もある。
「ぎゃっはっは! あちこちボロボロじゃねぇか」
何が可笑しいのか、BLOODがけたたましい笑い声をあげた。
「……がガ、仕事に戻りなさい……」
だが、ナナシーZEROが見つめているのは阿修羅だけだ。
それは仕事をさぼる者に彼女が云ういつものセリフだった。阿修羅は言い知れない恐怖と不安に急きたてられるように叫んだ。
「ナナシーZERO、そんな場合じゃないだろ! グランディオの王が死んだんだ。配給も止められているし、ここにいたんじゃ、死んじまう。機械人間のあんただって、オイルがないと機能できないんじゃないのか」
「仕事に戻りなさい……」
だが、彼女は聞く耳をもたない。
「だから……!」
「………仕事に戻りなさい。戻らないと……拷問アア」
云うが早いか、ナナシーZEROが阿修羅に襲い掛かる。阿修羅の制止の言葉にも耳を貸さず、彼女は右手に握られた肉切り包丁をためらいなく振り下ろす。
「くそっ!」
間一髪、阿修羅は攻撃を避ける。その背に雷電が声をかけた。
「阿修羅王、そやつの相手は任せる」
「えっ!」
阿修羅は耳を疑う。
しかし、雷電は本気だった。羽のような軽さで天上近くのくぼみまで跳躍すると、そこから二人を見下ろした。
「おぬしに何ができるのか、見定めさせてもらおう。俺が戦ったのでは簡単すぎる」
「そんなこといってる場合じゃっ」
そう叫んだ鼻先を肉切り包丁が通り過ぎていく。阿修羅はその身軽さで難を逃れながら、口のなかで悪態をつく。
(何て奴だっ! くそっ、せっかく生き延びたってのに、こんなところで死んでたまるか!)
阿修羅はこんな時のためにと拾っておいたナイフを手にする。
「ナナシーZERO! 目を覚ましてくれっ」
繰り出される攻撃をナイフで払いのける。一撃一撃がかなり重い。
女性型とはいえ、彼女は機械人間だ。見た目と力がイコールとは限らない。
とはいえ、阿修羅も獣人の血を引いている。獣人は並外れた体力と攻撃力が自慢の民だ。若年とはいえ、ナナシーZEROの繰り出す攻撃を払いのけるのはそれほど難しくなかった。
「ガ…拷…問……!」
ナナシーZEROは感情の灯らぬ目を阿修羅に向け続ける。
(……ナナシーZERO)
阿修羅はくちびるを噛む。
助けたい。だけど、何をすれば彼女が元に戻るのかわからない。わかるのは、このままではらちがあかないことだけだ。
「ごめん!」
すうっと息を飲み、阿修羅は彼女の胸を突いた。肉と違う硬質な感触。だが、内部で何かが切れていく音はナイフを握る指先を冷たくさせる。
「ガ!!!」
一瞬の放電ののち、彼女の首ががくんと下がる。
「……くそっ」
「ふむ、なかなかやるな」
雷電はくぼみから飛び降りた雷電が淡々とした声で云う。BLOODがつまらなそうに毒づいた。
「ケッ、もう少し長引けば面白かったのによォ」
「黙らんか、BLOOD。……ふむ、こやつ、機能が停止したのか」
雷電がナナシーZEROに近寄る。阿修羅が返答しようとした時、ナナシーZEROの目蓋がひらいた。
「ガガ……あしゅ……ら」
「! ナナシーZERO!?」
彼女は駆け寄った阿修羅のほうに瞳だけを向ける。
「ワタクシ……は、もう、ダメです。あなたは…はやくここから逃げ……なさい」
「何があったんだ? 配給が止められただけで、あんたがこんなふうになるはずないだろ!」
「……ワタクシ……にも、わかりません。……わわわ……ワタクシにも……わかりませ……」
プツッという音とともに今度こそナナシーZEROは機能を停止した。
阿修羅は握りしめた彼女の手をゆっくりと戻した。
「……いったい、どうなってるんだ?」
「さあな。王の死以外に何かが起こっているのかもしれんな」
「おもしれーじゃねぇか! こりゃあ、探検しがいがあるぜェ」
「……ナナシーZERO」
彼女の目蓋を指でそっと閉じて、阿修羅は立ち上がる。
早々に歩きだした雷電がその背に声をかけた。
「もう行くぞ。阿修羅王。我々は先を急がねばなるまい」
「……ああ」
阿修羅は一度だけ振り返ると雷電のもとへ駆け出した。
………
……………
機能、復旧しました。
「ガガ…」
「足抜け……規則………これより……ガ……追跡……します」
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B600F
エピソード5
暗い洞穴を照らす水銀灯に導かれながら歩いていく。
やがて阿修羅たちの前に巨大な扉が立ちふさがった。
雷電はいかにも分厚そうな扉をかるく叩きながら首をかしげた。
「うん? 妙だな。ここを通った時はこんなものなかったぞ」
「確かになァ。こんなものが立ちふさがってたら、さすがに旦那も鼻をぶつけてるぜ」
BLOODが面白そうに笑う。
「たぶんこれは……」
阿修羅は扉にほどこされた花の彫刻を眺めながら云った。
「下郎花は遊楽街の印なんだ。だから、たぶんこの扉はエリアを区切ってるんだと思う。俺も初めて見るんだけどさ」
「どーすんだァ? ここを通らないと上へいけないんだろう? 旦那」
BLOODはあくまで面白そうな声で問う。彼にとってはすべてのことが他人事なのだろう。
「ふむ、ここに寝転がっている死体が鍵でももっておればよいのだがな」
そう云って、雷電がそばに倒れている死体の衣服をまさぐる。
「お、おい。雷電!」
「ケッ、よく触れるなあ。あいっかわらず、そういう所は無頓着だなあ。旦那よぉ」
「もちろん、汚れたらおぬしで拭くさ」
「なっなっなああああ! これだから、テメーは嫌いなんだよ! けーっ!」
「阿修羅王、こんなものがあったぞ」
雷電はBLOODの抗議もどこ吹く風で死体から奪ったものを見せる。阿修羅はひどい臭いのするそれを指でつまんで受けとった。
「折れた……鍵か。このままじゃ使えないな」
「なおせばよかろう。俺は『再生』が使える。おぬしは折れた鍵をなおせる材料を探してくればよい」
「『再生』か。話には聞いてるよ。緑玉人の使う『無』から『有』をつくりだす技だろう?」
「それは『創造』だ。『再生』は物に宿る心を辿って創りだす技だ」
「物に心なんてあるのか?」
「心ある者に生み出されることで物に心が宿る。百年使われた物は付喪神となるだろう。だがな、百年たたずとも心は生まれているのだ」
「へえ……」
「もっとも、俺は緑玉人ではないからな。あやつらほどの力はない。とはいえ、創り出す物の欠片があるなら、何とか再生できるだろう。俺の見たところ、なおすには『火蜥蜴』と『やわらかい鉱石』が必要だな」
「そっか。それだったら、何とかなるかもしれないな」
「面倒くせぇなあ。ここまで来て材料探しかよォ」
「まあ、よいではないか。暇つぶしにはちょうどよい」
「……」
自分にとったら大変なこの状況を暇つぶしと片付けられ、阿修羅は複雑な気分になる。
(けど……まあ、やるしかないか)
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